友達のいない転勤族妻のブログ

気がついたら友達がいないのです

ネイティブキャンプを始めました😃

一ヶ月ほど前からオンライン英会話のネイティブキャンプを始めました😃🎶

毎日2レッスンほど受講していて、ここまで計二十時間ほどの受講時間になってます☺

英会話力向上しているか? と聞かれると微妙な感じですが💦、まだ二十時間なのでそりゃそうだよね〜💦という感じです。

焦らず続けていきたいと思います😀✨

とりあえず受講百時間になると何か変わった感じがするらしい‥? と聞いたので、まずは百時間を目標に頑張ってます😊

実践発音や日常英会話、ビジネス英会話のコースを受講してるんですが、発音で複数回直されたのが「dollar」「million」「billion」😗

どうもLの発音が意識しないと浅くなってるのかな?😗

会話の方は全然単語が出てこなくてお手上げです😂

母音はɑːの発音の口の開きが小さいと言われます😯

とりあえずマイペースでやっていこう😂

三石由起子さんの人生相談回答に元気をもらった

少し気持ちが落ち込んでネガティブなワードばかりネットで検索してしまってた〜!😨

だけど三石由起子さんのテレフォン人生相談の回答が書かれたページを見て、元気をもらったよ😊

回答はインターネット上に公開されているので気になる方は見てみてください😉

いらぬ苦労を買うな。ボランティアで怒鳴られ毎朝死にたい専業主婦のデジャヴ

telephone-soudan.com

私が回答の中で特に印象に残った言葉は↓

・無理して外に出なくていい!!
・家のことや家族のことでやれること、張り合いのあることはたくさんある
・付き合いたくない人と付き合ってストレスをためるよりも本でも読んでストレスフリーでいたほうがずっと有益

専業主婦の相談への答えって大抵、

・仕事を始めてみたら?
・何か新しい趣味を
・ボランティア活動や地域活動をしてみたら?

などなど、外に出てみなよ! みたいな内容のことが多いけど、それをした結果鬱みたいになってしまった相談者さんに対して、目から鱗、だけど深くうなずける回答をしてる三石さんって人はすごいな😯って思ったよ☺

三石さんって方のことは全然知らなかったんだけどね💦

専業主婦ってだけで叩かれる時代だから、三石さんのアドバイスがほんと心に沁みました😉

他の相談内容でも、自分が自立できていないと悩む相談者に対してのアドバイス

https://telephone-soudan.com/20181129-shibata-mitsuishi/2/

・飄々キャピキャピと生きていていい
・居場所なんて探さなくてもいい
・そういう人がいるってことが大事

この「そういう人がいるってことが大事」っていうのがよく分かるなぁ〜🙄✨

前回のブログで書いた

「どんな立場の人でも幸せに生きられる」

って証明するような存在っていうか。

完璧な状態でなくても幸せそうに生きてる人の存在って、なんだかんだ周りの人を幸せにするような気がする🤔

こういう余白みたいなゆとりが社会にも必要な気がするな〜。

うちには育てにくい一人っ子の男の子しかいなくて悲しいなと思ったら

表題みたいなことを思うのは、私だけかもしれない。

はぁ~、よそのおうちには可愛い女の子がいていいなぁ。
もう少し育てやすくて賢い男の子だったらなあ。

そんな風に思って落ち込んでしまうことが結構ある。

そんな時私が想像するのは、クレヨンしんちゃんの世界である。

もしクレヨンしんちゃんのアニメの中でみさえが

「うちには男の子も女の子もいるし将来は安泰だわ。風間くんとマサオ君のおうちは男の子しかいなくて可哀想。風間さんの家はお金持ちで風間君がいるけど、でも女の子がいないんじゃねぇ。男の子は将来お嫁さんのものだし、男の子だけじゃ将来寂しいわよねぇ」

なんて言おうものなら一瞬でクレヨンしんちゃんの世界がたちまち殺伐とするだろう(黒みさえの出現)。

もちろん現実にはこんなこと面と向かって他人に言う人はいない。

だけどうちの母親は内心では上みたいなことを昔から言っていた。

そして私自身も私自身に対してこんな言葉を投げかけてしまうときがあることを自覚している。

だけど男の子一人しかいない自分を悲しいと思う時、その「黒みさえ」が自分の中に存在してるのといわば同じなんだなと私はある日ふと気づいたんだよね。

私自身が作り出した私の中の「黒みさえ」が「私自身」をそうやって攻撃していて、そんな風に自分を攻撃する「黒みさえ」は私の中で同様に「他者」を攻撃しかねないんだなあって。

そんな風に考えたら自分が不幸とか残念とかより自分自身に対する「修羅みさえ」を心の中に飼っている自分がなんだか悲しく恥ずかしくなった。

これがいわゆる自分の姿を客観視するってことなのかな。

「自分自身」をいじめる「自分自身」を「修羅みさえ」として客観的に見る。

そんな風にしてみたら、ディスられたマサオ君ママや風間君ママよりもなんか「黒みさえ」の人間性や精神性のほうが心配になってくるよね。

そんな発言をしないからこそ、クレヨンしんちゃんのみさえはテレビ画面の中で幸せそうに見えるんだな。

マサオ君ママも風間君ママもアニメの中では十分幸せそうで、マサオ君は平凡な(←ひどい)男の子だけど(いやもちろん優しいしいい子だけど)、それを心配しすぎることもなく、マサオ君ママはいつものんびりちゃぶ台でお茶飲んで幸せそうだし、その姿を観て私たち視聴者も幸せな気持ちになる。

それで何がいけないんだろう?

いや、何もいけなくない。

結局私をいじめる私と戦っているのは私だけなのだ。

これがマサオ君ママが内心で

「野原さんのとこは女の子がいていいな、うちは女の子がいなくてなんの取り柄もない男の子で不幸だわ」

なんて悩み始めようものなら、また一瞬でクレヨンしんちゃん界が殺伐とすると思う。

まあそれでも野原さんちのひまわりちゃんを見る度に

「赤ちゃんは可愛いわぁ。女の子は可愛いお洋服もたくさん着せられるし楽しそう♪ いいなぁ♪」

くらいは思うかもしれない。それはそれでほほえましい。これが

「うちにはどうして女の子がいないんだろう……。子育てがこんなに大変じゃなければ……。本当はもう一人欲しかったのに……」

なんて落ち込んでいたらやっぱり視聴者はハラハラしちゃうと思う。

もちろんもう一人欲しかったのが本当ならそれを悲しむことは何も悪くないよ。でもだからと言って今が100%不幸かと言うとそうではないよね。

もちろん現実ではあるかもしれないけど、はたらか見たらそこまで悩まなくていいのにな、って思うよね。

「いやいやそんなことないっしょ? あなたはあなたでゆっくりお茶飲んで幸せそうにしてていいんだよ? その様子がクレヨンしんちゃん界を平和にするんだよ?」

と言ってあげたくなる。

そしてその言ってあげたい言葉をちゃんと私自身に言ってあげるべきなんだと改めて思う。

どんな状況にあっても人は自分を幸せだと思っていいし、どんな立場の人でも幸せになっていいんだ。

子どもが二人! 男の子と女の子が一人ずついるのが理想! それ以外は幸せじゃない!

って言葉にしてしまうとそんなことないでしょってきっと誰もが言うだろうと思うのだけど、私の無意識化にはなんとなくそんな考えがあって、時々それが顔を出して来ては私をいじめる。

こんなことは他にもある。

マイホームがあるのが幸せ! 地元に住んで両親や友達に囲まれて暮らすのが幸せ!

そんな考えが頭のどこかにうっすらある。だけど転勤族の妻である私にはいずれも叶えることができない。

それを夢と思ってそれに向かって頑張るのも一つの生き方だとは思う。

だけど今の生活も十分幸せと言って笑って過ごしたって別にいいんじゃないかとも思う。

理想どおりの形じゃなくても幸せに暮らすことが、同じような立場の人を励ますってこともあるんじゃないかな。

気がつけば2ヶ月が過ぎていた

気がつけば前回のブログ記事から2ヶ月が過ぎてしまってました。これだけものぐさだから友達がいないのです。

この2ヶ月は相変わらず何の変哲もなく過ぎています。

最近は寒いので午前中は夫と子どもを送り出した後は大体布団の中ですね。

最近のマイブームは息子が学校に行き、夫が会社に行った後、昼ごはんにこっそり食べるステーキです。

家に誰もいない昼間に一人でこっそり食べるステーキのなんと美味しいこと‥。

溢れる肉汁、口に広がる肉の旨味、かきこむ白米の甘さ‥。この世で最も美味しい食べ物はステーキと共に食べる白米なのではないだろうか。

たまらない贅沢であります。

そんなにお金はないのでもちろん頻繁には食べられません。ステーキの前後は納豆ご飯やおにぎりで一生懸命節約しています😢

はぁーしかしほんと美味しいわステーキ。

一枚のステーキがこれほどまでに人生における様々な憂いを払拭してくれるとは。

牛さんに感謝です。

専業主婦恐れるに足らず

今日もまったり専業主婦の仕事をこなす。なかなか幸せである。

共働きだったときはとにかく毎日が大変だった。

仕事を辞めたらいけないと思って生きてたけど、なんであんなに思いつめていたんだろう?

辞めてみたら、全然平気である。何も変わらない。というか、幸せになった。

仕事を辞めたことを後悔するんじゃないかとやたら考えていたけど、後悔したことは今のところ一度もない。

むしろもっと早く辞めておけば良かったのにと思うことのほうが多い。

保育園時代、朝の息子は機嫌も体調も悪いことが多かったけど、今思うに親子共々疲れ切っていて睡眠も足りていなかったのだと思う。

家庭それぞれの事情があるから幸せの形は皆それぞれ違うと思うけれど、私自身は今の家庭の形に心底満足している。

働く母親の背中をみせるとか、なんだかんだと難しいこと考える必要もなくなった。今では毎日ぼけっとしてヘラヘラ生きている。

今思うに私は「専業主婦はニ億円の損」とか「せっかく大学を出てそれなりの会社に就職したのだから女性の権利を主張するべきだ」とか、そういう思想をひたすら唱えることで日々のしんどさを押し込めて、自分を保っていたのだと思う。

「この生き方が正しいのだ」と毎日自分に言い聞かせていた。

だけど今の私は、別に自分の生き方に「正しさ」なんていらないと思っている。

ただただ自分が満足と幸せを感じられる過ごし方ができたらそれでいいじゃないか。

そもそも人の生き方に「正しい」も「正しくない」もないのだ。

経済的な面から言っても我が家は子ども一人で家も借り上げ社宅だし困ることは特段ない。

第二子ももう産まないと決めたらすごく気持ちが晴れやかになった。

一人も産まなかったり結婚しない人だってたくさんいるのだ、それぞれに幸せの形がある。

ここまでなんとか自力で頑張って生きてきて、今のところ普通に生活できているのだから、やりたくないことはもうやらなきゃいいのだ。

子どもはもちろん可愛いしいたらいたで楽しいけれど、子どもを産む産まないに限らず、疲れること、つまんないことはこれ以上もうやりたくないのだ。

もしかしたら第二子を産むなり働くなりしたその先にさらなる幸せやら充実感やらがあるのかもしれないが、私はもうこれ以上求めようと思わない。

さらなる満足感を求めるより、もう私は苦労しないほうを選ぶ。体がもたない。

巷では、旦那が死んだらどうするの〜とかの意見もあるけれど、私が退職するまでに貯金もまあまあしたし、生命保険もかけてるし、夫は一人っ子で義両親にそれなりに蓄えやら不動産があるので、まあなんとかなるだろう。

息子一人くらいは普通に大学まで出して私もそれなりに暮らしていくくらいはできそうだ。

一人になったら細々働いてもいいだろう、パートやバイトもあるだろう。

ワンオペで子どもを育てながら仕事して土日も子どもに付きっきりでヘロヘロだったあの地獄のような日々に戻ることに比べれば、多少のリスクがあると言われても、夫が突然死するまではのんびり暮らす生活を私は選ぶ。

あるかどうか分からない未来のために今の生活を犠牲にしたくない。

それにどうせ夫が死んだら働くのなら生きてるうちは働かずに休んでおいたほうがいいだろう。

ここまでの人生ずっと、努力が大事、努力でなんとかなる、と思ってきたけど、そんなこたーない、私は世の中のことをなんも知らなかったのだ。

仕事は嫌いじゃなかったしむいていたと思うけど、すべてをこなすには私の体は弱すぎたし体力もなさすぎた。

それに私はぼーっと生きるのが好きなのだ。そして物欲がない。

おしゃれや美容も昔からそれほど興味はないし、買いたいものもそんなにない。本とゲームくらい。それもたくさんはいらない。

そして私には睡眠時間がたくさん必要だ。ロングスリーパーなので一日十時間くらい寝ないと駄目なのだ。

だから今の適度に力が抜けつつこじんまりした生活が私にとってはすごく快適だ。それで十分なのだ。

スーパー銭湯は良い

昨日は九時頃起きて朝ごはんにベーコンエッグを焼いた。夫と自分の分野コーヒーを淹れてパンを焼く。美味しい。

その後家事を済ませて息子の習い事へ。終わってからおうちで昼ごはん。その間夫はお気に入りのカフェで一人パスタに行っていた。良きかな。

午後から三人それぞれまったりした後、近くのスーパー銭湯へ。一時間ほどゆっくりつかる。息子も温泉が大好き。私も昔からお風呂が大好き。大きなお風呂にゆっくりつかれて幸せ。

その後銭湯内の食堂で夕ご飯。息子はお子様ランチをガツガツ食べた。お腹空いてたらしい。ソフトクリームも食べた。満足満足。

家に帰ったら八時。お風呂もご飯も終わってて後は寝るだけって素晴らしい。そのままウトウト寝てしまう。そんな一日だった。

友達はいないけど家族仲は良い。それには感謝しておこうと思う。

気がついたら友達がいないのね

さて、ふと気がついたんだけど、今の私には友達がいない🤯

全くいない笑🤯

この一年間で友人にあった回数は0!!

ちなみにここでいう友達というのは定期的に連絡を取り合って定期的に会う的な距離感の友達のことです😇

ママ友はもはや職場の同僚みたいなもの(やむを得ないお付き合い)で純粋な意味での自分の友達ではないなと思う(とはいえママ友にもそれほど会っていない。最近のママさんたちは仕事をしている人が多いからあまり会う機会がない)のでカウントしてません。

ママ友でも本当に親同士だけでわいわいやれるくらい仲良くなっていれば友達と言えると思うけど、そういうママ友は0です!!

確かに昔から友達が多いタイプではなかったけど、それでも学生時代は人並みには友達がいたし、結婚前も毎週末飲み歩くくらいの友達はいたんだよ~

なのにどうしてこうなった??🤔

やっぱり転勤のある会社に入り、転勤族と結婚して見ず知らずの土地に住み始めたのが一番の原因かなぁって思う。

あとは大学の友人たちも全国にバラバラになっているからそれも原因の一つかも。

そう考えると、下手に勉強頑張ってそれなりの大学を出ても、大企業に入って地元や友人との繋がりを失うという孤独な人生が待ってるだけなんじゃないか?なんて思ってしまって時々悲しい気持ちになる。

そもそも転勤族じゃなくたって、三十代既婚子育て中の女性ってなかなか気軽に出掛けられない環境の人って多いよね??

転勤族の妻だったらなおさら。

うちの場合はさらに夫が五年ほど海外単身赴任していてワンオペが五年間続いてたから(今年ようやく帰ってきた)、この五年間は土日は一人では全く出掛けられなかった。

やっぱ環境が悪いよ環境が。

と環境のせいにしてみたけど、実際どうなんだろ?🤔

最近はもう、なるようにしかならないよね、って感じ🤔

まあ昔は友達がいたって戦争とかで死んじゃったとかたくさんあっただろうし!!(適当)

友達いないと老後不安かなって思っても自分がそんなに長生きするかわかんないし!!(適当)

友達いたとしてもその友達も長生きするかどうかわかんないし!!(適当)

まあ私の性格に問題ある説もあるわね🤔

まあでも特段トラブルに問題がなって関係が途切れたとかそんなじゃないんだよね。

自然消滅……?😂

「そのうち会いたいね〜」なんて言ってるうちにどちらからともなく疎遠になっていくあの感じ。

「そのうち会いたいね~」は社交辞令って記事を読んだけど「あ、ですよね」って感じね。

まあとにかく友人関係を長く持続させるというのは難しいよね(私だけ?)。

まあ今さら昔を懐かしく語り合う友達を欲しがったところで突然できるものでもない。

今からまたワイワイやれる友達ができるなんてこと、あるだろうか。あったらいいけど。

ないならないでも日々それなりに生きていくしかあるまい。