友達のいない転勤族妻のブログ

気がついたら友達がいないのです

専業主婦恐れるに足らず

今日もまったり専業主婦の仕事をこなす。なかなか幸せである。

共働きだったときはとにかく毎日が大変だった。

仕事を辞めたらいけないと思って生きてたけど、なんであんなに思いつめていたんだろう?

辞めてみたら、全然平気である。何も変わらない。というか、幸せになった。

仕事を辞めたことを後悔するんじゃないかとやたら考えていたけど、後悔したことは今のところ一度もない。

むしろもっと早く辞めておけば良かったのにと思うことのほうが多い。

保育園時代、朝の息子は機嫌も体調も悪いことが多かったけど、今思うに親子共々疲れ切っていて睡眠も足りていなかったのだと思う。

家庭それぞれの事情があるから幸せの形は皆それぞれ違うと思うけれど、私自身は今の家庭の形に心底満足している。

働く母親の背中をみせるとか、なんだかんだと難しいこと考える必要もなくなった。今では毎日ぼけっとしてヘラヘラ生きている。

今思うに私は「専業主婦はニ億円の損」とか「せっかく大学を出てそれなりの会社に就職したのだから女性の権利を主張するべきだ」とか、そういう思想をひたすら唱えることで日々のしんどさを押し込めて、自分を保っていたのだと思う。

「この生き方が正しいのだ」と毎日自分に言い聞かせていた。

だけど今の私は、別に自分の生き方に「正しさ」なんていらないと思っている。

ただただ自分が満足と幸せを感じられる過ごし方ができたらそれでいいじゃないか。

そもそも人の生き方に「正しい」も「正しくない」もないのだ。

経済的な面から言っても我が家は子ども一人で家も借り上げ社宅だし困ることは特段ない。

第二子ももう産まないと決めたらすごく気持ちが晴れやかになった。

一人も産まなかったり結婚しない人だってたくさんいるのだ、それぞれに幸せの形がある。

ここまでなんとか自力で頑張って生きてきて、今のところ普通に生活できているのだから、やりたくないことはもうやらなきゃいいのだ。

子どもはもちろん可愛いしいたらいたで楽しいけれど、子どもを産む産まないに限らず、疲れること、つまんないことはこれ以上もうやりたくないのだ。

もしかしたら第二子を産むなり働くなりしたその先にさらなる幸せやら充実感やらがあるのかもしれないが、私はもうこれ以上求めようと思わない。

さらなる満足感を求めるより、もう私は苦労しないほうを選ぶ。体がもたない。

巷では、旦那が死んだらどうするの〜とかの意見もあるけれど、私が退職するまでに貯金もまあまあしたし、生命保険もかけてるし、夫は一人っ子で義両親にそれなりに蓄えやら不動産があるので、まあなんとかなるだろう。

息子一人くらいは普通に大学まで出して私もそれなりに暮らしていくくらいはできそうだ。

一人になったら細々働いてもいいだろう、パートやバイトもあるだろう。

ワンオペで子どもを育てながら仕事して土日も子どもに付きっきりでヘロヘロだったあの地獄のような日々に戻ることに比べれば、多少のリスクがあると言われても、夫が突然死するまではのんびり暮らす生活を私は選ぶ。

あるかどうか分からない未来のために今の生活を犠牲にしたくない。

それにどうせ夫が死んだら働くのなら生きてるうちは働かずに休んでおいたほうがいいだろう。

ここまでの人生ずっと、努力が大事、努力でなんとかなる、と思ってきたけど、そんなこたーない、私は世の中のことをなんも知らなかったのだ。

仕事は嫌いじゃなかったしむいていたと思うけど、すべてをこなすには私の体は弱すぎたし体力もなさすぎた。

それに私はぼーっと生きるのが好きなのだ。そして物欲がない。

おしゃれや美容も昔からそれほど興味はないし、買いたいものもそんなにない。本とゲームくらい。それもたくさんはいらない。

そして私には睡眠時間がたくさん必要だ。ロングスリーパーなので一日十時間くらい寝ないと駄目なのだ。

だから今の適度に力が抜けつつこじんまりした生活が私にとってはすごく快適だ。それで十分なのだ。